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母が入院依頼、父が落ち着くようにと父を連れて母の病院を訪ねるのが日課になっていました。
母は私の身体を案じ、そんなに毎日来なくていいのよと言ってくれますが、こっちにはこっちの父の事情というのが有りますから、毎日毎日父を連れて病院に通っていました。
しかし、26日27日とaiの春の講習会でしたから、始めて父を母の所へ連れて行くことができない日になりました。事情をお話しし、ショートステイの方でも不安を感じつつも理解を示してくださっていました。
昨日aiの講習も終わろうとしているときにショートステイから電話が有りました。
「誠に申し上げにくいことですが、今日もお父様にはスタッフに対して暴行に近い行動が見られ、これ以上のご利用は無理かと思います。」
絶句する私に「ご事情は伺っていますし、こちらがお父様に対して対応できないのは本当に申し訳なく思っておりますので、今日急にすぐというわけにもいかないでしょうから明日でいかがでしょうか?」
真っ白になる頭を必死で働かせ、月曜日は夜7時半過ぎまでレッスンが入っているから行くとしても8時半ごろになる事、火曜日にはどうしても昼間に会議が有るのでそのあと迎えに伺うことにしていただけないかと必死で頼み込みました。夜のaiの基礎科レッスンは休講にしてもらえば何とか迎えにはいけるだろうと考えました。
ショートステイの方も「わかりました。4月2日の奥様のご退院までということでお引き受けしていますし、ご事情もおありだと思いますので、火曜日夕方のお迎えをお願いします。」とおっしゃいます。
とりあえずお迎えは少し時間の余裕はできたものの、4月1日は音楽教室の入室試験とクラス分け、もっとも大切な一日です。朝8時ごろ家を出て、帰宅は何時になるかわかりません。いったいどうしたらよいのでしょう。
思い余って前から何かあったら手伝うからと言ってくれていた78歳になるいとこに電話をしました。
4月1日の事を話すと大丈夫、手伝いに行くわよ、安心してお仕事に行きなさいと言ってくれました。ひとまず4月1日は何とかなるかも知れない。その後の事は考える余裕さえ有りません。とにかく4月1日の段取りだけは何とかできました。
今日レッスンをしていると5時ごろ電話が有り、父が暴れてどうしようもないのですぐにも迎えに来てくれというのです。もう目の前が真っ暗です。
レッスンを終え、鉛を飲み込んだような気持ちでショートステイに向かいました。
ちょうど開いたエレベーターに父が入りこんでしまい、出るように促したスタッフ女性3人に殴りかかったり蹴飛ばしたりして、エレベーターを1時間も止めてしまったと言うのです。
スタッフの方々のお怪我の具合を尋ねると、あざが少しくらいで大丈夫ですとのこと、ひたすらお侘びをして、とにかく父を連れ帰りました。
途中父は家に帰れると上機嫌。腹が立つやら、悲しいやら、何とも言えない気持ちを必死で押さえながら帰宅しました。
ちょうど同じころ主人も帰宅し、事情を話すと主人が父に「お父様!」と声をかけると、いきなり父が豹変しました。「きさま」や「お前」と主人の事を呼び、主人に飛びかかっていくのです。慌てて私が両手をつかむと、今度は私の手にかみつこうとします。体力には自信のある私ですが、とても押さえきれず、横のベッドに押し倒して座らせましたが、それでも力がすごくて押さえきれず、とうとうベッドに押しつけて馬乗りになって押さえました。
「何やっているの?ゆんこがわからないの?」と叫びながらこちらも必死です。少しでも手の力を緩めると、飛びあがってくるのです。10分に満たないくらいだったと思うのですが、その間の長いこと、地獄のような時間でした。
それでも89歳の父ですから、力尽きたようでやっと静かになってくれました。
まるで追い込まれた手負いの猿のような父の姿に、本当にショックを受けました。
同時にこれをショートステイのスタッフのみなさん達にしていたのかと、申し訳ない気持ちでいっぱいになり、本当に悲しく生きた心地のしない夜となりました。
来週から、一体どうしたらよいのでしょう?
八方塞がりってこういうことを言うんだろうな~
何とかしなくちゃと思うもののどうしたらよいのかわからず、気力もわかなくなりました。
今日は高校の入学式でした。
母はまだ入院したままなので、父を一人家に置いていくわけにもいかず、きょうはもちろんですが、この先新学期が始まってどうしたらよいかと思っていました。
ケアマネージャーの方がいろいろと手を尽くしてくださり、介護ヘルパーの資格を持って家政婦さんをなさっている方を紹介してくださいました。
おとといと昨日の2日間、私が家にいるときにいらしていただき、いろいろと慣れていただき大丈夫そうなので、今日は晴れて?入学式から参加できることになりました。
ふだん何気なく当たり前にしていた行動が、両親のことで制限されている今、ゼロにはならないにしろ家の事をお任せして家を出られると言うのは本当にありがたいことです。
今までは何か世田谷区の介護事業でお世話になる事を考えたらと両親に話すと、自分達はまだまだと言って、知らない方が家にいると落ち着かないし、父はデイホームなどに行って知らない方と一緒に過ごすのが苦手だから・・などといいますので、ついそのままにしていましたが、今回どうにもならず、手続きはいろいろ大変ながらも、探すといろいろな方が手を差し伸べて下さることがわかりました。
本当に感謝・感謝の言葉しか有りません。
八方塞がりのように思っていましたが、新学期が始まってからもいろいろな方達の手をお借りして、何とか頑張っていこうと思えるようになりました。
そう思えたことに、また感謝!です。
4月30日土曜日から第2回目の抗がん治療のために母が入院しましたが、家政婦さんも通って来て下さるし、病院やお散歩はNPOの方が見えて付き添って下さるので、父も余り混乱することなく過ごしていました。
それでも母が入院していることはなかなか受け入れられないらしく、「ママの帰りが遅いけど、どこ行ったか知らない?」とか私が帰宅すると「ママも一緒?」などと言っています。
5月5日治療を終えた母が退院して来ました。父も大喜び。これで次の治療まで約1か月間安泰と思いましたが、今度は母の副作用が激しく、帰宅後吐き気が強く苦しそうに寝込んでいます。
6日になっても副作用は収まらず、状態がかなり悪そうです。副作用とは言え、高齢なので体力が持つのかと心配していましたが、夕方になるとさらに悪い状況です。家政婦さんも帰り際にお家では無理ではないですか?とのことで、夕方6時半を過ぎてから病院に電話をし、状況を説明しました。
「これから連れて来られるようなら診察できます」と言われ、8時までレッスンが入っていたので終わり次第連れて行くことでお願いをしました。
レッスンを終え、母の所に行くと病院に行けば楽にしていただけると思ったらしく自分で起き上がりふらふらしながらも行く準備をしました。
寝室は2階なので私が下から支えながら一段ずつ階段を降りていましたが、途中でどうも母の様子がおかしく、うまく降りなくなりました。
声をかけても反応がなく、意識を失っているようなのです。意識が無いのに階段の手すりをしっかりと握っていて、それでどうにも動けないでいました。
まだ階段も5段ほど残っていて、ここで母もろとも落ちたら大変と往生している所に、母を運ぶために車を出してくれていた主人が戻ってきたので助けてもらい、何とか下に降ろしました。頬を軽くたたきながら名前を呼んでも反応がなく、これはもう自分達の車で運ぶのは無理と判断し、救急車をお願いしました。
病院では電話をしてあったので先生がすぐ診断してくださり、副作用の吐き気が強いためにお水を飲めず脱水症状になってしまったことが原因と言うことでした。
血中の電界物質(ナトリウム)が下がってしまっているので、意識の低下はそのせいでしょうとのことで、点滴で症状を改善すれば大丈夫と言われ、しばらく入院となりました。
結局入院手続き等を済ませ、11時過ぎに病院を出ました。病院を出た途端、今度は一人置いてきた父が心配になり、家にいるだろうかと不安になりました。
帰宅すると父はまだテレビを見ながら起きていて、ほっとしましたが、案の定「ママと一緒?」と聞かれました。「さっき救急車で運んだでしょう。またしばらく入院ですよ。」と言っても救急車の事は忘れているらしく「ママの帰りが遅いんだよ、どこ行ったのかね~?」などと言っていました。
とりあえず父が無事に家にいたので胸をなでおろし、後のことは考えずに明日の大学の準備をして寝ることだけを考えようと思いました。
ゴールデンウィークのお休み気分が吹っ飛ぶ救急車騒ぎ。
またまた心がざわついてきました。
なかなかこの生活、気が抜けません。