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昨夜10時過ぎに帰宅するころにパラパラと降っていた雨が、夜中に雪になり、6時に起きた時には何と一面銀世界でした。
今日は高校で10時25分から期末テスト。車では危険と8時過ぎに家を出て仙川駅に向かいました。駅に着くと、駅の周りは傘の山、何事かと思えば改札で入場制限をしているとのこと。
少しでもうまく改札に近いようにと改札正面に何とか並び待つこと40分。途中で高校から連絡が来ないのがおかしいと思い、高校のホームページを見ると案の状1・2限は休講、3限からと有ります。
少しほっとしたものの、なかなか改札に入れないのでとにかく高校のそばまで行ってから時間調整をすることに決め、そのまま並んでいました。やっと改札を通過でき、ホームに並んでも電車はなかなか来ません。
掲示板を見ると通常の3割の列車数と有ります。それでは無理もないと覚悟を決め並んでいましたが、20分くらいしてから来た電車はいっぱいで乗れず、結局ホームでも30分ほど待って列車に乗りました。
その後も各駅で前の駅の列車が発車してからこの列車も発車いたしますとのアナウンスでなかなか進みません。市ヶ谷から有楽町線に乗り継ぎ、護国寺駅に着いたのは11時半を過ぎていました。
3限は12時40分からなのでほっとしながら高校に向かって歩いていると、高校から電話が有り、今日は全部休校になりましたとのこと。緊急一斉メールを流していたそうなのですが、私のメールが戻ってきてしまい、電話を下さったとのことです。
3時間半も立ちっぱなしで、足も凍えてしまっていましたからそのまま高校に行き、一斉メールの登録をし直し、持っていたお弁当を食べてやっと人心地がつきました。
東雲の音楽教室は通常通りに有りましたので、高校から東雲に行き、9時半ころやっと帰宅しました。
長~い長~い雪の一日でした。
ダルクローズのソルフェージュでは、音階や和音を歌う時にスケールナンバーで歌うことが良く有ります。
属七の和音はスケールナンバーで5・7・2・4と歌っていきます。
私も2000年にダルクローズソルフェージュに出会い、メロディーや音階・和音をスケールナンバーで歌うようになりました。始めのうちはなかなか慣れずにいましたが、だんだんスケールナンバーを使って歌うことや考えることに慣れてきました。
スケールナンバーが身に付いてくると、これがとても便利です。スケールナンバーは移動ドのドレミを番号で考えていることになりますので、1は主音、5は属音等その音の調性内での役割が番号ですぐにわかります。受験の時に苦労した楽典の和音や音程の調判定なども確実にできます。
東京音大音楽教室で中学2年生の楽典の授業でも、スケールナンバーを使って説明したり、問題の解き方を指導していますが、「納得!」「便利!」とスムーズに入っていったようです。
幼稚園の子供達も音階をドレミで歌うとすかさず「番号で!」と声を掛け2回目はスケールナンバーで歌います。
34と71(音階の第3音と第4音・第7音と第1音)は半音ですから、音の上行下行に合わせて上下に動かしている手もパチンとたたいて音程が狭いことを体感しています。
スケールナンバーで歌えるようになれば、「お引越ししましょう。ここが1です」と音を与えればその音からの長調の音階が歌えます。音名で歌うとハ長調以外の音階がなかなか体験できませんが、スケールナンバーで歌えばいろいろな調が体験できます。
ロ長調でも変ニ長調でも簡単に歌っています。
小さいうちからハ長調だけでなくいろいろな調をきちんと体験しておくことはとても大切です。スケールナンバーを使うことでそれも可能になりました。
思っていた以上に効果絶大のスケールナンバー。
和声や楽典等、つい敬遠しがちな理屈もわかり易くできると思います。
今、スケールナンバーに夢中です!!
高校時代から甲子園で輝かしい成績を作り、その後は西部ライオンズやジャイアンツで素晴らしい成績を残した人物です。個人的には好きにはなれない人でしたが、その打者としての職人気質なところなどには一目置いていました。
小さな時から野球一筋に生きてきて、プロ野球を引退した事で目標を失いどう生きたらよいかわからなくなったのではないかということです。とても子煩悩な人だったそうですが、引退後離婚し子供と一緒に暮らせない寂しさも有ったのではないかとも言われています。
野球の事をよく知らない私でも知っているほどいわば「野球バカ」のような人物でした。「○○バカ」は一つの事に打ち込み他の事には目もくれない一心不乱の事をいいます。
場合によってはそのひたむきさに好感を覚えることさえ有るような言葉ですが、今回のニュースを聞いて、いくら専門に打ち込もうと、あくまでも人としての成長無くしては一つの事に打ち込んだ意味がないとあらためて感じました。
一つの事に打ち込むと言うのはとても大切なことですが、そのことによって人間が育てられ、人格が磨かれるようでなくては意味がないことです。
個人的にお話しした事は有りませんが、フィギュアスケートの羽生さんやテニスの錦織さんのコメントなどを聞いていると、彼らは間違いなく人としての魂が磨かれているように思えます。
また、社会のいろいろなことに適応できるように、当然ですが専門以外の社会の事も身につけさせなくてはいけませんし、自分の気持ちをコントロールできるようにすることも大切です。
自身も指導する立場の人間として、音楽を通して「人」を育てていると言うことを忘れずに、心と魂を磨くようなレッスンをしなければと改めて考えさせられました。
きのう、昨年9に月NHK交響楽団の首席指揮者に就任なさったパーヴォ・ヤルヴィさんが東京音大Aホールで指揮の公開マスタークラスをなさいました。
受講生は芸大の学生二名、桐朋、上野学園、東京音大から各1名でした。オーケストラは東京音大のオーケストラです。曲目はモーツアルトの交響曲第41番「ジュピター」です。
受講生たちは緊張した面持ちでオーケストラに頭を下げ、指揮を始めます。パーヴォさんはしばらくの間聴いてから、アドヴァイスをします。
まず、一人一人に必ず良いところを言ってから、直すべき点を話し始めます。
だいたいの学生に共通して注意なさっていたのが、音楽の大きな流れを指揮するようにとのことです。どうしても学生達は右手で常に拍子を刻み、時々左手で音楽の表情を与えているスタイルになります。
オーケストラメンバーは自分で拍を数えられえるから、そこはメンバーを信用してどのように音楽を形作るかの指示を与えるのが指揮者の役目なのだと言うことです。
レッスンを見ながらリトミックで良くやる試みを思い出しました。一つのメロディーで刻みを変えて歌うなどの体験をします。すると、当然ですが刻みが細かいほど音楽が小刻な感じになり、刻みが大きいとゆったりとしたレガートな感じが増します。
具体的には八分音符を刻みながら歌うときと、四分音符、二分音符、全音符を刻みながら歌う時ではその刻みの大きさによってメロディーの流れ方や聴こえ方のニュアンスが違ってくるのです。
受講生の学生達が皆拍を一生懸命刻むので、どうしても音楽の大きな流れが妨げられているのです。以前から思っていたことでは有りましたが、やはり指揮科の学生にもリトミックをさせたいな~と実感致しました。
最後に学生からパーヴォ先生になぜ先生はそんなに頭も指揮もクリアにできるのかという質問が有りました。
学生は自分の思いを伝えようと、まずはお礼や感謝の言葉を述べ、その後一生懸命質問を細かに説明してだいぶ時間をかけての質問となりました。
それに対して先生のお答は、質問の内容はわかったけれど、何故そんなに質問に時間がかかるのか?的確に短い言葉で自分の思いを伝える練習を日々の生活の中でもするのが良いだろうとのことでした。
オーケストラと向き合っているときや譜面に向かっているときだけが勉強ではない、普段の生活のなかでも常に音楽につながるような学び方をし、生活の全てが自分の音楽につながるような生き方をするようにとの素敵なご指導でした。
私も常々全てが音楽の成長や、人間としての成長につながるような生き方をしたいと願っていましたので、パーヴォ先生のお言葉はとても心に響き、また力になりました。