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母のお友達でも有る先輩が、我が家に向かう中間点にお住まいなのでいつもお稽古の帰りは私の車に同乗していただき、お家の前までいろいろとお話をさせていただいています。
文筆業をなさっていて、お茶に関する事もたくさん書いていらっしゃり、会長先生からも信頼の熱い素敵なお茶人でいらっしゃる方です。95歳になるお母様とお二人暮らしなので、お互いに介護のぐちなども交えながら、お稽古帰りのひとときを楽しんでいます。
昨夜もいつものように車に乗ると、小さな紙の手下げを下さり「これ今日お一日だからおこわを炊いたの。ママにも召しあがっていただけたらと思って。少しだけど・・・」
「えっ?お一日におこわ?」
「そう、母は下町の生まれだから、毎月一日には前月の無事の感謝とこれからの一月の無事を願っておこわを炊くのよ」
「え~!毎月ですか?」
「そう、今日お一日だから炊いたんだけど、母が食べやすいように柔らかくしてあるから、パパやママにはべちゃっと感じるかもしれないけど、縁起ものだから少し持ってきたから、ママにお渡しして。」
有難くいただいて、帰宅後母に渡しました。小さな和菓子の箱に丁寧におこわが詰められ、その上にはお庭の南天の葉が添えられ、さらにゴマ塩が包んで入っています。その小さな箱を空けた瞬間、先輩のお優しい、そして細やかなお心配りがあふれ出たようでした。
3月に母が入院し手術を受け、私が父の事で四苦八苦しているときにも、「今日タケノコご飯を炊いたから、二人で夕御飯に食べて」と主人と二人分のタケノコご飯を渡してくださいました。
この時もタケノコご飯の上には山椒の新芽が添えられていて、疲れ果てていた私は本当に心にしみ、「ああお見舞いというのは、お花や果物を形通りにお渡しするのではなく、こういう風にすることなんだ」とタケノコご飯をいただきながら思ったものでした。
母の病気のおかげで、先輩から「心配りとは」ということを学ばせて頂きました。
私も先輩のような「心配り」ができる人間になりたいものです。