あっという間に4月が過ぎ、ゴールデンウィークも終わってしまいました。
しばらくご無沙汰をしてしまいました。皆様いかがお過ごしですか?
私は新学年の新しい生徒達との授業も3回ほど終わり、今年度の生徒たちの様子も私なりにつかめ、授業のペースが私の中で定まってきた感じがし、ほっと一息ついております。
先日2006年にダルクローズ協会のニューズレターに書いたコラム原稿を見つけ久しぶりに目を通しました。今も私を貫いている考えを書かせていただいていました。懐かしく読み返し、また自分のバックボーンの確認も致しました。
皆様にもお目通し頂けたらと、引用いたします。
シンプルに
澤口 遊雲子
ダルクローズに接するようになって20数年が経つ。その間、レッスンを通してそれぞれの先生方から、または書物を読んでその中で、ダルクローズのアプローチというのは、いろいろな方向から、螺旋階段のように少しずつ目的に向かって進んでゆくということを学んできたつもりでいた。
2000年から名古屋で国際免許取得に向けてのレッスンを、春夏15日間、マルタ・サンチェス先生やアナベル・ジョセフ先生たちから受けさせていただくようになった。それまでは、ジュネーブの国際大会であったり、日本の国内の講習会にしても短期のものが多かったので、カリキュラムにしたがって、系統立てたレッスンを継続的に受けるというのは始めての体験だった。
レッスンの中で、何度か先生方から「シンプルに」という言葉を掛けていただいた。たいていはシンプルなこと(単純な=基本的なこと)を積み重ねてゆきなさいと解釈すればよいように思っていたが、あるとき大人に向けてのペタゴジーの時間に、「シンプルに考えて」というようなことをおっしゃられた。専門的な大人に対するレッスンをするのだから、子供と違い難しくしなければと考えていた私には、不思議なアドヴァイスだった。しばらくは不消化のまま、私の頭の中に残っていることになった。その後も、春夏とレッスンを受けてゆく中で、だんだんと「シンプル」の意味が見えてきた。たぶん先生方のおっしゃる「シンプル」は、単純なというより、物事の根源的なことを意味しているのではないだろうか。枝葉のことに気をとられずに、絶えず物事の根幹のところで考えなさいという意味でとると、それまでいただいたさまざまなアドヴァイスも私にとって納得のゆくものとなった。
物事を、一番基の部分で考える。余計なものをすべて取り去り、まず幹の部分を明らかにする、その上で始めていろいろな方向に枝を伸ばし、葉を茂らせる。そんな考え方の手順を踏むことがとても大事なのだと気付くようになった。この「基のところを明らかにする」ということが、考えを整理するうえでとても重要だと思う。レッスンを受けると、ついどんなゲームをどんな順番でしたかということに気をとられ、そのレッスンをノートに記録しておきたいと思っていた。が、大事なのはゲームのやり方や順番ではなく、一番基になるのは何か、そしてその上に何を加えてゆくかということだと思う。
「基の部分を明らかにする」 言葉として聞くとあたりまえに思えるが、これがなかなか見極めが付かないものである。広い視野と深い知識、明確な判断力を備えて初めてできることかもしれない。シンプルに考えているか? 物事の本質を見極めているか? 日々、自分への問いかけが続く。
[6回]
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