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今日は卒業生の金子三勇士君のリサイタルに行ってきました。
三勇士君はお母さまがハンガリーの方で、6歳の時にハンガリーに単身音楽留学なさり、11歳でリスト音楽院に入学、16歳でリスト音楽院を卒業し、帰国後東京音大付属高校に編入して来ました。
東京音大で師事した先生が私の恩師でも有る三浦捷子先生だったので、兄弟弟子の意識も有り注目しているピアニストです。
高校の時から一般学科も意欲的に学び、大学時代は芸祭委員や自治会の役員をするなどピアノだけでなく人間としての幅の大きさをフルに見せてくれ、いつも彼の活動を楽しく見守っていました。
今日のリサイタルではショパンの英雄ポロネーズ、ノクターン、モーツアルトの「キラキラ星変奏曲」、ベートーヴェンのソナタ「月光」 ドビュッシーの「月の光」 リストの「愛の夢」 「ラ・カンパネラ」ととても聴きやすいプログラムでした。さらにアンコールには「ハンガリー狂詩曲」。
三勇士君のスタイルでもあるトークしながらの演奏会でした。お話しもわかり易く、ユーモアも有り、お客様達は皆リラックスして、さらに三勇士君の曲目解説で聴き方の要点もわかり十二分に一曲一曲を楽しんでいる様子でした。
演奏は当然素晴らしく、ドビュッシーの「月の光」を弾き終えた時にはお隣のおばさまが「きれい・・・」とため息のようにつぶやいていたのが印象的でした。
今日は寒く暗い雨の一日でしたが、三勇士君の素敵な音楽と素敵なトークを聴き、心豊かな一日となりました。音大に勤めて、卒業生のこのような姿を見られるのは本当にうれしいことです。
「私も負けてはいられない!!」ひそかに心の緒を締めながら帰宅しました。
今日は卒業生の金子三勇士君のリサイタルに行ってきました。
三勇士君はお母さまがハンガリーの方で、6歳の時にハンガリーに単身音楽留学なさり、11歳でリスト音楽院に入学、16歳でリスト音楽院を卒業し、帰国後東京音大付属高校に編入して来ました。東京音大で師事した先生が私の恩師でも有る三浦捷子先生だったので、兄弟弟子の意識も有り注目しているピアニストです。
高校の時から一般学科も意欲的に学び、大学時代は芸祭委員や自治会の役員をするなどピアノだけでなく人間としての幅の大きさをフルに見せてくれ、いつも彼の活動を楽しく見守っていました。
今日のリサイタルではショパンの英雄ポロネーズ、ノクターン、モーツアルトの「キラキラ星変奏曲」、ベートーヴェンのソナタ「月光」 ドビュッシーの「月の光」 リストの「愛の夢」 「ラ・カンパネラ」ととても聴きやすいプログラムでした。さらにアンコールには「ハンガリー狂詩曲」。
「私も負けてはいられない!!」ひそかに心の緒を締めながら帰宅しました。
ここのところアルツハイマーが目に見えて進んできた父がいるので、通院で治療していただけないかとお願をしたけれど先生が無理とおっしゃって困ったと母から聞き、あわてて一緒に病院へ行き、お医者様に父の事は何かするので母の治療をお願いしますと伝え、今日母の入院となりました。
結局最初に病院にかかってから約2カ月達ちましたが、その間に父の介護認定をとったり、ケアマネージャーさんとご相談しながら父をショートステイで預かって下さる所を探し手続きをしたりとあわただしく過ごしました。ちょうど2月に入ると大学高校の授業が無くなりましたので、本当に幸いでした。
母も最初はショートステイにはいかないと言っていた父を説得出来て、「パパも納得してくれて安心した!」と快く入院の運びとなりました。
アルツハイマーの父に母の入院も見せたほうが納得すると思い、母と父二人連れて母の病院へ。まずは病院の駐車場で「ママ、入院するとか言っていたけれどいつ?」「今日ですよ。だからこうして入院の荷物持ってきたでしょ!」次に母の入院するお部屋に入り、母と一緒にベッドに腰掛けて様々な手続きを待つときに「ここは病院でしょ?だれか入院するの?」う~ん、母はパパも納得してちゃんとわかってくれたと言っていたけれど、すっかり忘れているのではといやな予感。
やがて母の手続きが終わり、ご家族はお帰りになって結構ですよとのことで今度は父のショートステイ先へ。
途中大好きなイタリアンのランチを食べ、ご機嫌になり胸をなでおろしつつ移動しました。
車で移動中に「これからどこへ行くの?」と聞かれ
「今日からお泊りするところへ行きますよ」
「ゆんちゃんどこに泊まるの?」
「いいえ、私じゃなくて、ママが入院したから、その間パパはお泊りして待っているってママと約束したでしょ」
「ママ入院したの?聞いてないよ!」
あちゃ~!!恐れていた展開になってきました。
その後、ショートステイ先に着いても、母の入院は聞いていない、家に帰る!の連続です。何とか時間をかけて話し、お世話をしてくださったかわいいスタッフさんに助けられ何とかショートステイ先を後にしました。
家に帰るとすでに5時、朝8時から慣れない入院騒ぎでさすがに疲れ、お茶を飲んでからやっとそのままにして出かけた朝食の食器を洗いだしたその時、電話が鳴りました。
出てみると、ショートステイからで、帰ると言って聞かないのでもう一度来て説得してくださいとのこと。主人には時間がかかると思うから、遅くなると思いますと言って、もう一度ハンドルを握り、ショートステイに戻りました。3~4時間覚悟で行きましたが、何とか1時間半ほどで納得させ、寝巻に着替えさせ、ベッドに入れて帰路に着きました。
それでも家に帰ったのは9時半過ぎ、コンビニの夕御飯を食べながら、この先ただでは済みそうにないぞと覚悟を決めた一日でした。